• カトリックの教え

4月『感謝』

 経営の神様と呼ばれた松下幸之助氏(Panasonic創業者)のエピソードを聞いたことがあります。ある大学教授が雑誌の企画で幸之助氏と対談することになっていたのですが、既に高齢になっていた幸之助氏は体調を崩して入院していました。当然中止になるものと思っていたところ、「以前からのお約束なのでおいでください」との連絡が入りました。無理されなくてもいいのに、と心配しつつ病院に着くとパリッとスーツを着こなしネクタイもきっちりとしめた幸之助氏が現れます。病気で入院していたにも関わらず、そして財界では無名の自分であるにも関わらずここまで心遣いを示される幸之助氏に感銘を受けたというお話でした。

 礼儀の本質は相手への敬意にあると言えます。そのためには自分は何者で、目の前にいる相手はどなたなのかを深く理解しておく必要があります。ところで、聖ホセマリアは「自分は惨めな罪人である」ということを度々言っていました。自分を卑下しているわけでも言葉の上での単なる言い回しでもなく、心底そのように感じていました。「自分は惨めな罪人である」その言葉に私も深く共感します。

 では他者についてはどう見るのか?聖ホセマリアは「その(他者の)体にはキリストの御血が脈々と流れているのが見える」と言っていました。キリストは目の前にいる「その人」のために十字架の苦しみを忍ばれた、その人のために命をかけるのをキリストは良しとされたという意味です。であるならば自分はその相手に対してどう振る舞うべきなのか?そんなことを聖ホセマリアは繰り返し祈りの中で振り返っていたのでしょう。聖ホセマリアを知る人は、自分に対する心底からの敬いを感じ取っていました。