• カトリックの教え

競争から共生社会を目指す

 2019年、フランシスコ教皇が来日して日本国民に訴えたことは、社会が経済優先で動き、人間が犠牲になっていることでした。株価の変動に一喜一憂しながら、世界のどこかで飢餓で苦しんでいてもニュースにすらならない世界を変えようと、呼びかけました。いつの間にか日本も「今だけ、金だけ、自分だけ」という生き方が主流になってしまいました。 商売は「より安く、より早く、より良いものを」提供する者が生き残る世界ですから、競争を無視できませんが、弱肉強食の世界は幸せではありません。

しかし、戦後の高度成長では、これが現実になりました。地方の商店街は閉鎖に追い込まれ、量販店が栄えています。個人ではとても大手に対抗できず、地元に愛された店が潰れていきました。一方で、地方はショッピングセンターで栄え、便利になりました。日本全体としては経済が成長し、利益は国民に還元されました。だから国民は納得できました。国内の競争が終わると、次は世界との競争になりました。安い労働力を求めて、工場は発展途上国に移され、国内で多くの労働者が失業しました。労働者を救うために割高な賃金を払うと商品が高くなり、世界市場での競争力が落ちます。経営者のジレンマです。それでも、この流れは止まりません。それがグローバル経済の宿命です。

 1980年代頃から「グローバリズム」という言葉を耳にするようになりました。「世界は一つ」を合言葉に多くの人に受け入れられ、今では世界の常識ですが、これが競争を激化させている主な原因の一つです。これは、世界が一つの土俵で戦う経済戦争なのです。「自由貿易」という錦の御旗を掲げて反対を封印してきました。しかし、正義なしの自由は弱肉強食の世界になります。そして、最後は百獣の王だけが残り、すべてを支配することになってしまいます。今、GAFAがそれに近づいています。そこに社会正義のメスが入ろうとしていますが、難航しているのも事実です。

 一部の人が儲けて、多くの人が貧困に陥ることを避ける知恵が必要になります。トランプ前大統領が「アメリカファースト」を打ち出して世界の顰蹙を買いましたが、それは保護貿易で自国の労働者を守るためでした。グローバル経済では共生社会を実現出来ません。だから、フランシスコ教皇は「連帯」を呼びかけています。お金が支配する世界ではなく、富める者が貧しいものを助け、強い者が弱い者を支え、共に生きる世界です。痛みを分かち合い、みんなのために自分が奉仕することを厭わない社会です。これは、あなたの生き方の問題でもあるです。■2021/10/15 *高校1・2年生説教(小寺神父)