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戦場の若者に捧げる祈り

ウクライナとロシアに続きイスラエルとパレスチナでも、君たちと同じ世代の若者が戦場に送られています。そこは非日常の世界で、弾丸が飛び交う下で死の恐怖に襲われ、死に直面します。そんな状況になると、本気で祈ったことが一度もない青年でも、神を信じない人でも、思わず祈り、神に助けを願うそうです。誰も野垂れ死にしたくありません。犬死には嫌です。そして、考えます。「俺の人生にどんな意味があるのか?」 

日常の世界では「何のために生きるのか?」と自分に問いかけて、人生の進路を決めます。しかし、戦場では逆です。「俺は何のために死ねるのか?」です。行き着く答えは「家族を守るため、国のため、共に闘う仲間のために」という絆です。自分のことだけを考えるなら、死ぬ意味を見つけられません。きっと逃げ回るか、絶望して自暴自棄になって人生を諦めるしかないでしょう。日本は平和ですから、皆さんは死に直面していません。「何のために死ぬか?」と問いかけたこともないでしょう。しかし、永遠という長い物差しで測れば一日も80年も似たよなものです。人生を振りかえれば一瞬、一日の旅と同じです。

死は突然やってきます。自分中心に生きていると、死を受け入れることができません。不安と絶望に襲われます。人生を家族のため、友のため、社会のために捧げてきた人は、穏やかな心で死を迎えるでしょう。よく生きるとは、よく死を迎えることです。戦場では生き残るために戦いますが、死を覚悟しなければ戦えません。人生も同じです。死の向こうに永遠の命を信じ、神を信じて、人々のために命を捧げる覚悟がなければ、よく生きることは出来ないでしょう。

この説教をしている瞬間も、多くの若者が家族のために、友のために、国のために戦っています。そして死に直面して必死に神に祈っています。敵も味方もなく、命を懸けている戦場の若者のために祈りましょう。フランシスコ教皇は世界中の人々に、今日10月27日に祈りと断食をするように呼びかけました。私たちも応えましょう。祈って役に立つのですか?そんな疑問があるかもしれません。祈りは霊の世界です。真剣な願い、念じる心は神と繋がります。霊は時間と場所に閉じ込められていません。だから、日本で祈った皆さんの心は神を通して戦場の若者の心に届きます。役に立つのです。効果があるのです。戦場にいる同じ世代の若者のために、祈りましょう。敵も味方も関係ありません。(心を込めて、ゆっくりと天使祝詞を一緒に唱えた)■(小寺神父)
*2023/10/27 高三への朝の説教より