- カトリックの教え
未来を創るのは自分の心
ようこそ、精道学園に!希望と不安の内に新たな学園生活を始めたことでしょう。今は、体育祭を終えて不安は消えたみたいですね。みなさんの瞳には、未来を見つめる希望の光が宿っています。何を求めて精道に来ましたか?勉強するためですか。部活をするためですか。人間として成長するためです。宇宙が無限い広いように、人間の心も限りなく大きく広がります。みなさんは、まだそれを十分に知りません。祈りで神と繋がると、時空を超えた霊的な世界があります。人間の偉大さと弱さを学んで欲しいのです。
さて、どんな未来が待っているか、誰にも分かりません。未来の世界を予想できますが、不確定です。学問は過去のデータの集積です。過去を知ることで今を理解できます。だから勉強が必要です。しかし、過去だけで未来が決まりません。自分の未来を決めるのはデータではなく、自分自身の心だからです。動物も植物もその一生が定められています。「蛙の子は蛙」なのです。人間だけが、自分で自分の未来を決めます。二年後、三年後の自分がどうなっているか、分からなと思うでしょう。それは、自分で「どうしたいか」考えていない、決めていない印です。
たとえば「東大を目指す」目標を決めて、決心して勉強する人は、三年後に東大の赤門にいるでしょう。未来の自分を決めるのは、今の自分です。自分の決めた通りの自分になります。何も決心しないで、言われたままに生きている人は、人の言いなりになる無責任な人間になっているでしょう。それは過去の自分が選んだ自分の姿なのです。誰のせいでもありません。未来に向かって決心しましょう。それが未来の自分です。決心するために勉強が欠かせません。しかし、勉強だけでは足りません。自分の心を鍛えることも欠かせません。弱い自分と戦うこと、人に仕える姿勢を学ぶことなどです。
好きなことをすることが自由だと思うでしょう。でも、それは偽りです。真の自由とは、未来を自分で決めることなのです。世界を自分の思い通りにすることはできません。しかし、自分の未来は自分の思い通りに決められるのです。「今、好きなように生きること」が自由の本質ではありません。「未来の目標を自分の思い通りに決め、そこに向かって自分で思い通りに努力すること」が、自由を生きることです。未来の自分を決めるために精道に来ました。学びつつ、祈りつつ、未来を見つめましょう。■(文責:小寺神父)
*2021/05/07 高一、二説教より