• カトリックの教え

令和6年度6月モットー『勤勉』

勤勉であることの価値はなんでしょうか?一生懸命勉強や仕事に励むことになんの意味があるのでしょうか?そのことによって目標や夢が実現するからでしょうか?

確かに、毎日継続的に何時間も集中して勉強をし続ければ、目指している大学に入る可能性はより高くなることでしょう。毎日高い意識を持って真剣に部活の練習に取り組めば、大会での良い結果に繋がることでしょう。

しかし勤勉であることの価値はそれだけでしょうか?

何年も毎日勉強計画を立ててそれをしっかりこなしたけど、目指した大学に入れなかった場合、それまでの継続的な努力の価値はなくなるのでしょうか?大会の前日に怪我をして、試合を欠場することになったら、これまでの日々の頑張りの意味は消えるのでしょうか?

聖ホセマリアは、勤勉は「神から与えられた才能を十二分に活用するため全力を傾けるという態度に表れる」(神の朋友81番)と言います。

勤勉は、与えられた命を全力で生きることの現れと言えるかもしれません。

「生きる」ということは、それ自体が価値です。赤ちゃんが生まれた時、人は喜びます。それは新しい「生」がこの世に生じたからです。その喜びの理由は「何かを実現するため」ではありません。純粋に新しい「生」の存在を喜ぶのです。生きること自体が価値なのです。

そして勤勉であること、それは人生の各瞬間の「生」を力の限り最大限「生きる」ことを意味するのではないでしょうか。