- カトリックの教え
令和4年6月『勤勉』
みなさんは勤勉と聞いてどのようなイメージを抱きますか。
勤勉を調べてみると・・
「仕事や勉強などに精を出してはげむこと。また、そのさま。」
どうでしょうか。
重くて、堅苦しく受け身的になってしまいそうな感じに捉えられないでしょうか。
書いてあるように精を出して励むためには、心の持ち方が非常に重要だと思います。
そこで、この勤勉を「学び」と 解釈するだけで、柔らかくオープンで能動的なイメージに変えられるような気になりませんか。
では、勉強と学びの違いはなにか。
様々な解釈はあると思いますが、「勉強」=教えに従って「身に付けるべきこと」を身につけること。
しかし、受け身であると失敗を避ける傾向や教わることによって考えないスイッチが入ってしまう。
つまり自らwhatやwhyを問わなくてよい。
自分で考えるより、わかっていることで解けばいいとなりがちになる。
そうするとなかなか広がりのある勉強は持続しない。
「学び」は自分から「こうありたい」自分になることを目指す。
本当のことが分かりたい。
分からない所が分かれば楽しい。
色々な方法で試してみる。
「?」が「!」になればすごい発見をしたのと同じ。
そのスモールステップの成功体験や喜びが積極的な取り組みに繋がるのではないでしょうか。
是非、何事も心の持ち方なのでやってみる価値はありますよ。
「勉強しなさい。一生懸命に根気よく勉強しなさい。塩となり光となるには、学問と適性が必要である。のんびりと気楽な生活をしていても知識が注入されるとでも思っているのだろうか」(聖ホセマリア・エスクリバー著「道」より)