- カトリックの教え
12月『寛大』
今から数年前、私は司祭になるための勉強をスペインでしていました。ある時、普段着の安い服を探していたのですが、一緒に勉強をしていた仲間が「Zaraがいいよ」と教えてくれました。当時私には初めて聞く名前だったのですが、今では日本でも有名になっています。そのZaraの創業者がスペイン医療の改善のためにといって全国の病院に合計380億円を寄付したというニュースを聞いたことがあります。なんと寛大な行為でしょう。
ところで聖書には次のような話があります。ある日イエス様は神殿の階段に座って多くの人に教えを説いていました。そのすぐ近くには神殿に巡礼に来ていた人々が賽銭を置く台があり、時々金持ちがやってきては多額のお金を置くたびに近くでどよめきがおきていました。そんな中一人の貧しい未亡人が小銭を2枚置いたのです。それを見て嘲笑する人がいましたが、イエス様は言いました。「この婦人は誰よりも多くを捧げた。なぜなら持っているすべてのお金を置いたのだから。」この女性はその日の食費とすべきお金まで捧げていたのです(ルカ20章45節参照)。
寛大さは、実は量では計れません。心のあり方にかかっています。小さなことでも大きな愛を込めて行うなら、それは神様の前にとても寛大な行為となるのです。聖書の中に出てくるあの貧しい婦人は、目には見えない神様にできる限りの愛を示したいと思っていたのでしょう。『万事を神の愛のために行いなさい。そうすれば、小さなことなど存在しない。万事が偉大である。』(道、813番)。