- カトリックの教え
感情をコントロールする
半年後、君たちは共通試験を受けているでしょう。期日が迫って来ると緊張と不安が心に広がって来ると思われます。感情は望まなくても現れます。忘れようとすればするほど強くなります。どのように向き合えばいいのでしょうか?感情は消すことができませんが、ある程度コントロールすることができます。感情にはメカニズムがあり、それを承知していれば上手に付き合うことができるのです。
まず、不安の正体は何でしょうか?それは、未来に起こるであろう悪(失敗)を想像して、それまでの苦労が無駄になる、あるいは失敗するのではと恐れることです。善(成功)を目指して努力しているからこそ不安になるのです。何もしていなければ何も期待していないので、不安は起こりません。不安の反対が希望です。未来に手に入れるであろう善を思い、希望に胸ふくらませて今からワクワクすることです。必要な準備をしたので自信があるのです。どちらも実現していない未来を見て生まれる感情です。
影の部分を見れば不安になり、光の部分を見れば希望になります。影があるのであれば、必ず光の部分があります。もし不安を消すことが出来るとすれば、同時に希望も消えてしまいます。不安が大きいほど、影に隠れた希望も大きいということです。不安と希望はセットです。どちらが表になるかという違いだけです。不安を忘れようとするのではなく、もう片方の希望に意識を向ければ、ある程度コントロールできます。不安があるということは、努力を重ねてきたという証拠です。努力は未来を切り開く希望の根拠になります。このように、日ごろから悪から善を導くことを意識する癖をつけると効果的です。
感情には様々な種類があります。悲しみは大切なものを失うと現れます。大切にしていたからこそ悲しみがあります。愛と悲しみはセットです。愛がないと悲しみは生まれません。憎しみは、愛が壊されることで生まれます。これも愛とセットです。怒りは正義心から生まれます。このように、あらゆる感情には相反するものが組になっているのです。それは光と影のたとえ話で説明できます。光がなければ影は出来ません。光がないとは、闇であり、無です。光という善が存在することで初めて影という悪が生まれます。悪自体は存在すらないということです。「悪は、あるべき善の欠如である」(聖アウグスティヌス)。「この世は悪に満ちている」が、霊的な目で見るなら「善も満ちている」のです。■ (文責:小寺神父)*2021/07/16精道学園・高校3年生説教より