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司祭のお話(小寺神父)

春夏秋冬、時を読む
入学、進級おめでとうございます。新緑のきれいな季節になりました。みなさんも負けないぐらい夢と希望に輝いています。季節に例えれば春です。だから青春時代といいます。しかし、人生は楽しいばかりではありません。苦しいこと、嫌なこともあります。
病気になる時、失敗する時、負ける時もあります。草花は、春夏秋冬を通して成長して実を結び、種を落とし新たな命につなぎ、役目を終えると死にます。人の一生も似ています。人生は春だけでなく、雨の時、雑草が生え出る時、夏の日照りがあり、そのお蔭で花を付け、実りの時が来ます。楽しいことだけを求めても実りません。そんな人生はありません。
先月、フランシスコ教皇が逝去されました。楽しいこと、苦しいこと、思い通りに行かないこと、すべてが彼の人生を創り上げ、その人格に豊かな彩りを与えました。亡くなる前日、震える手で、弱々しい声で聖ペトロ広場に集まった会衆を祝福しました。すべき事を最後まで全て成し遂げました。人生に無駄な事は一つもありません。すべてが「ありがたい」ことでした。死ぬことさえ、不幸ではなく、目出度く、有難いことです。永遠の命に旅立つことだからです。
「楽をしたい、得をしたい」こんな考えは時を読めていない証拠です。すべては必要であり、その時があります。楽しむ時、苦しむ時、喜ぶ時、泣く時、その時を精一杯に生きることが大切です。あなたの人生にも春夏秋冬があります。種を播く時には種を播く。人より早く播いても得しません。芽も出ません。失敗して落ち込む必要はありません。失敗から学ぶ時です。病気になる時、それは健康に感謝出来るためです。試合に負ける時、それは謙遜になる時です。無駄なことは一つも起こりません。
人の好き嫌いにかかわらず、季節は巡ります。それを動かしているのは、人の力を超える自然エネルギーであり、すなわち神の力です。草花は神に創られているため、春夏秋冬の時を正確に読んで従っています。だから実を結びます。人間だけが時を読めません。欲で心が歪んでいるからです。苦しい事があれば不平不満を言い、思い通りにならないと落胆し、悲しい事があらば諦めます。きちんと取り組めません。時の意味が分っていないからです。時を知るために、自分中心の考えから抜け出す必要があります。その道が「祈り」なのです。規則だから祈るのではありません。自分の時を正確に知るためです。祈りましょう。そして、自分が何をする時かを確かめましょう。そうすれば、きっと成果がでます。■2025/05/02全中学生向け説教 (文責:小寺神父)