- カトリックの教え
受験は自分との戦いである
人間には二つの相反する欲求があります。一つは「上昇欲求」です。それは、高い志を持って上を目指します。もっと上手になりたい、もっと知りたい、もっと強くなりたいという欲求です。これらは努力の継続が必要です。受験勉強もその一つです。もう一つは「下降欲求」です。これは努力を要しません。怠惰、安楽、気まぐれ、さらには感覚的な刺激を満たしたいという自分を下に引っ張る力です。食欲も性欲もこれに当たりますが、生命の維持と伝達のために必要不可欠だから快楽とセットになっているのです。ところが本来の目的と切り離して快楽だけを欲しがる傾向があります。これは誘惑と言われます。
このように、私たちは二つの欲求の狭間に立たされ、常に内的な選択を迫られています。そして、望む善(高い目標)を選ばず、望まない悪(誘惑)を選んで為してしまいます。帰宅してすぐにゲームを始めたり、休憩のつもりで手に取ったスマホの動画に見入って、気が付いたら1時間も経っていたり、などという体験が誰にでもあるでしょう。人生は各瞬間が戦いです。受験は自己との戦いです。自分に負けてばかりの人は、試験を受ける前から人生に敗北しているのです。もちろん、いつでも「やり直し」ができます。また、絶対負けない人は誰もいませんから、常に「やり直す」ことが重要になります。
中途半端な戦いでは勝てません。きっぱりと決心して戦いましょう。「これが最後」という決心ではなく、「あれが最後だった」という決心です。ある大学生は、大学院を目指すための邪魔になるからと、私にスマホを二、三週間預けました。これです。上を目指すには「下降欲求」に対して英雄的に「No!」と言うことが大切です。これは受験の話だけではありません。人生の話です。高い目標や志の先は神と繋がっています。逆に「下降欲求」という誘惑の先には、神から切り離され、友から切り離される不幸が待っています。
上を目指す努力は神へと向かうのです。それには祈りが欠かせませんが、祈りだけでは実現しません。祈りに支えられ、強められて、自分自身が戦うことです。だからこそ聖ホセマリアは「生活と仕事を聖化する」と教えたのです。楽をしたいからする祈り、勉強の代わりにする祈りは間違いです。祈って勉強し、勉強して祈る姿が正解です。祈りによって誘惑から守られます。祈りによって努力が効果的になります。■
*2021/10/22 高校3年生への朝の説教より(文責:小寺神父)