- カトリックの教え
創立の精神とカリスマ(賜物)-(1)-
キリスト教精神で教育するカトリック学校は、世界中に存在しています。にもかかわらず、聖ホセマリアは新たな学校を設立することを熱望しました。それは神から与えられた使命であり、必要性と必然性が厳然とありました。この創立の精神と賜物を抜きにして本校の存在意義はありません。保護者の期待に応えながら、社会の要請に応えながら、教育界にあってユニークな存在にならなければなりません。創立者が私たち教職員に何を願っているかを考察することが欠かせないでしょう。
精神とカリスマを見失ったら、分かりやすい成果主義、他者と差別化するエリート主義が幅を利かせます。学業やスポーツ、文化活動で成果を上げることは、よいことです。ただ、それを唯一の目的にすると「主義」に陥ります。数字に表れない精神という枠組みの中で、各活動の成果が追求されるべきなのです。この精神は、全員に共有されなければ効果を発揮しません。そこまで大切で、かつ必要な「建学の精神」ですが、どのように獲得されるものなのでしょうか?「自由と責任」「ポスムス」という言葉があります。でも「文字は殺し、霊は活かす」という聖書の言葉があります。「見て、聞いて、感じる」のが霊の働きです。「何か、いいなあ」と感じること、ありますか?きっと、そこには精神が生きています。反対に「よくない雰囲気だなあ」と思うことはありますか?それなら、精神が失われている印です。
子どもは家庭で育ちます。親の教育というより、親子関係、兄弟関係、つまり家庭の雰囲気や「場」が大きな影響を与えます。学校という「場」でも人間的に成長します。友人関係、教師との関係、つまり人間関係を通して成長します。聖ホセマリアは、ここに注目していました。よい家庭は、よい子が育ちます。それは、よい人間関係です。信頼、役割、責任、自由な雰囲気、相手を尊重、などの特徴があります。聖ホセマリアは、学校が同じような雰囲気であることを望んでいました。よい「場」が人を育てます。それはよい人間関係です。学校は成果を上げるための請負業ではありません。子どもたちと生活を共にして、子どもたちの人生に触れ、「教える」ことを通して「生きる」素晴らしさを伝えるためです。つまり「居場所がある」「家族のように尊重され、期待されている」状態です。まず、職場に家族的な雰囲気を造ること。そして、全員が子どもに「寄り添う」心で向き合うことからスタートです。■(文責:小寺神父)
*2021/08/09教職員講話