• カトリックの教え

令和4年10月『誠実』

 小学生のときに、先生によく叱られる友達がいました。当然その友達にとっても先生に叱られることは怖いことであり嫌なことでした。できれば叱られたくない!叱られるならやさしく短くしてほしい!と考えていたことでしょう。ある日、その友達は、先生の叱る時間が短くなるときにはあることが起こったときなのでは、と思いつきました。それは、「叱られている人が泣いたとき」というものでした。彼がそんな話をしてくれた数日後、私とその友達が先生の言いつけを守らずに行動してしまい(何をしたか忘れてしまいましたが)二人で先生に叱られることになりました。先生の語調も厳しく、怖い調子で説教が始まりました。その説教が行われている途中、私の隣から鼻水をすする音が聞こえてきました。なんだろうと思って隣を見ると、その友達がウソ泣きをしていたのです。涙は出ていませんが涙をぬぐうそぶりもしています。あきらかにウソ泣きをしていることがわかるおかしい泣き方をしていました。先生「・・・あんた、なにしてんの?」、友達「え・・・?」。ウソ泣きがばれてしまったことに驚きを隠せない友達の反応はあまりにもおかしく、私は笑いをこらえるのに相当苦労しました。
 その場しのぎのためにものごとをごまかす不誠実な人は、どこかこっけいで、隠していることがばれないかと常に不安になります。逆に、自分の非をありのままに認めることができ、それを改善しようとする誠実な人は、隠すものが何もなく、いつも心の中に喜びを持ちます。より誠実になれるよう、聖ホセマリアの助けを願いながらこの修徳の戦いを続けましょう。