- カトリックの教え
令和4年度5月『敬愛』
今、私の実家は空き家になっている。姉は県外で暮らし、私も実家を出て学校の近くに住んでいる。20年以上前に父が他界して実家には母が一人で住んでいたが、その母も2年前に他界した。人生100年時代というが二人とも平均寿命に比べると若くして亡くなってしまった。
私は月に数回実家に行き、風を通して墓参りをしている。居間の洋服掛けもキッチンの食器類も母がいなくなったそのままの状態で家は残っている。行くたびにもっと親孝行しておけばよかったと思う。「親孝行したいときには親はなし」本当にその通りだと思う。でも、その後悔の念を、私は勝手に「そんな気持ちがあるなら、同じ気持ちで周りの人を大切にするよう心掛けなさい」という両親からのメッセージだと受け止めている。「互いに愛し合いなさい」という聖書の言葉と重ねて胸に刻んでおきたいと思う。
「大切なことは、いくら与えたかではなく、与えることにどれだけの愛を注いだか、である」(マザー・テレサ)。一見小さなことに思える行動も愛し合う一歩になると思う。疲れている家族を労わる、困っている友人の話を聞く、普段言えない「ありがとう」を言葉で伝える、支えてくれている人に花を贈る。そういうことを、何気ない毎日の生活の中でさりげなく行えたらいいと思う。
「人間同士の愛が『ささいなこと』のなかにあるのを見たか。神への愛も『ささいなこと』のなかにある。」(聖ホセマリア「道」824)