- カトリックの教え
よく学び、よく遊び、よく祈れ!
高校から精道に来た生徒のみなさんは、精道にどんなイメージを持っていますか?「勉強、勉強、勉強!」あるいは「部活、部活」という感じでしょうか?精道は「よく学び、よく遊び、よく祈れ」です。校訓は「自由と責任」、モットーは「ポスムス」と「英雄的瞬間」ですが、この言葉も本校の精神をよく表わしています。
勉学は、しばしば受験のための勉強になり、受験に関係ない教科を勉強することが時間の無駄に感じることがあるかもしれません。また「何のために勉強するのか」という疑問が湧くこともあるでしょう。学ぶことは受験のためだけでなく生きるためです。「知は力なり」です。知に欠ける人は自分で判断できません。判断しても間違います。よく生きるためには、常に学ぶ姿勢が大切です。この学ぶ習慣を身に付けるのが学生時代なのです。やらされる勉強では点数は取れるかもしれませんが、学ぶ姿勢は育ちません。興味や関心がない科目でも、義務を勤勉に果すことは人間として大切と考えるなら、真剣に取り組むことでしょう。「よく学ぶ」とは目的を自覚して、自分から努力することです。
「あそぶ」とは欲望を満たすことではありません。「あそび」には、「余裕、ゆとり」という意味があります。「遊び心」という言葉もあります。友と交わることで新しいものの見方や考え方に触れ、視野が広がります。自分の関心事しか考えない人生は貧しい生き方です。友と交わることが「よく遊ぶ」という意味です。友人と共に過ごす時間を通して友情を深め、他者と心が通じ合う喜びを体験し、人のために生きることを学びます。人間として成長できます。これが心の余裕、ゆとりを生みだします。心の豊かさが人生の豊かさでもあります。
最後に「祈る」です。みなさんに「祈りの人」になってほしいと願っています。苦しい時の神頼みという意味ではありません。人間は本来、祈る生きものです。人類始まって以来、常に人は祈って来ました。祈らない生き方こそが不健全で、現代社会だけに見られる特徴です。私たちは物的な世界に生きていますが、同時に霊的な存在です。そこに矛盾を見出し、苦しむのが人間です。科学の力だけですべてを解決できません。有限の人生を超越するために思索と祈りが不可欠です。人間は永遠と繋がることで真の幸せに至るように出来ています。神はいます。信じない人がいることは知っていますが、神はいます。信じない人は、「もし神がいるなら」と条件付きで祈ってみて下さい。■(小寺神父)
*2023/05/12 高1 初めての説教(講話)