- カトリックの教え
復讐するは我にあり!
ロシア・ウクライナ戦争に続き、先日イスラエルとパレスチナが戦争状態に突入しました。
世界は第三次世界大戦へと近づいています。
この状況で私たちに何が出来るでしょうか?
世界を動かすことは出来ませんが、自分の生活する範囲で平和をもたらす努力は出来ます。
その一粒の水滴が小川になり、やがて大河に育ち、やがて世界を変える流れになります。
戦争は利害や歴史が複雑に絡んで発生しますが、その始まりは憎しみと復讐です。
人間の心が戦争の始まりです。
だから、私たちの心の在り方を平和にするなら、一人分だけ戦争の原因を減らすことになるのです。
聖書に「復讐するは、我にあり」(申命記32.35)とあります。
「復讐は神がするもので、人間はしてはならない」という教えです。
イエスも同じことを教えます。「剣を取る者は、剣で滅びる」(マタイ26.52)。
しかし、人間には別の感情があります。
「やられて、やり返さない人は臆病者だ」と考えます。
日本にも、仇討が美徳とされた時代がありました。現代でもメンツが潰されたら、やり返す人が多いのではないでしょうか?これらはすべて戦争の種です。平和をもたらすために力に頼るなら、平和ではなく戦争が無限ループに陥ります。
平和は、平和な心からだけ生まれます。
イエス・キリストは無罪でしたが、敵の嫉妬によって罪を押しつけられ、十字架につけられました。イエスは人類に救うため、平和と喜びを与えるために来られたので、力で対抗することをしませんでした。愛の業で応えました。つまり「ゆるす」ことでした。たった一人の赦す心が今では世界中に広がりました。
私たちもそれにつながり、「ゆるす」ことを目指しましょう。それが世界の戦争に対抗する最強の武器になるのです。一人一人の平和な心が集まって世界の平和が実現します。力による支配は、争いを無くしても人々の心に平和をもたらしません。不平や不満が生まれ、また戦争の種を播くことになります。
日常生活の中に「戦争をするか」「しないか」の選択が常にあります。戦争なんて大袈裟じゃないか?と思いますが、「心の平和を失うか、平和になるか」という選択ですから、本当です。
仕返しをするのではなく、ゆるすことができるのではないか?言われても、言い返さない選択肢もあるのではないか?無視されても、こちらから親切にすることに問題ないじゃないか?条件反射みたいに反応せず、祈ってから平和な心になる方を選びましょう。■(文責:小寺神父)
*2023/10/20 高校二年生への説教