- カトリックの教え
令和3年度12月『寛大』
イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」(ルカ21:1-4)
2000年前、イエス・キリストが生活していた当時、ユダヤでは、より多くの献金をしたものがより神の目にかなうと考えられていたようです。
この話を読むと、何となく心の片隅が咎めるような気がします。長者番付にのるような人が、何かの慈善事業のために用立てる。これは勿論、素晴らしいことです。しかし、自分には関係のないこと。そう思い込んでいるふしがあると思います。
お金の話ばかりではありません。たまたま内線に出たら、ちょっとだけ面倒なことを頼まれてしまった。自分でなくても構わない仕事。つまり自分には関係のないこと。しかし、やったら1~2分でできる頼まれごとです。
今月のモットーは「寛大」です。たとえ自分には関係ないと思われることでも、わたしの物、わたしの時間、わたしの労力など、どれも「有り余る」ほど持っているわけではないけれど、余裕がないほど、誰かのために役立てることができないほどではありません。冒頭の聖書の寡婦のように生活費をすべて寛大に捧げることはできなくても、少し心にゆとりを持ち年末を迎えたいと思います。