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人生の宝を探す地図

スピルバーグ監督『インディー・ジョーンズ、○○の冒険』という映画シリーズがあります。

財宝が隠されているという伝説を調べ、あるとき古びた地図が発見されます。

そこには不思議な言葉が記されていて、その謎を解かなければ地図が読めない仕掛けです。

主人公の博士がそれを解読して宝物に近づきます。すると、悪の組織が財宝を横取りしようと攻撃を仕掛けてきます。この敵と戦いながら無事に宝を手に入れて、ハッピーエンドの痛快アクション映画です。これがリアルの人生と見事に重なるのです。

人は誰でも「しあわせ」という宝物を探しながら生きています。

中には、そんな宝は伝説で、どこにも存在しないと諦めている人もいます。

また宝探しをしていても、何処にあるかを知らずに手当たり次第に探す人もいます。

そして苦労するけれど結果は無駄に終わります。

あるいは、ガラクタを宝と勘違いして追い求めている人もいます。宝を手に入れた途端に輝きが失せ、ガラクタに変わってしまい、いつまでも満たされません。

こんな人たちの失敗の原因は、地図を持っていない、見ていないということです。

「人生の宝探し地図」なんて見たことも聞いたことも無いでしょう?

実は、あります。それも身近な所にあります。人生の宝を見つけた人は、後から来る人にも宝を見つけて欲しいと願い、地図を残しました。

聖ホセマリアも、その一人です。宝物に通じる『道』を書き著わしました。その地図は謎に満ちていて、それを解かなければ本当の意味が分かりません。解読するためには、沈黙と祈りが欠かせません。

一つ、ヒントがあります。宝物は外の世界を探しても見つかりません。自分の内側の世界と関係があります。つまり、心の在り方によって「しあわせ」が決まるのです。

聖アウグスティヌスは有名な『告白録』の冒頭に「神を探して世界中を廻ったが、見つけなかった。しかし、最後に自分の心の中に神を発見した」と打ち明けています。

福音書も人生の宝に通じる「心の地図」と言えます。

イエス・キリストは、神の国を「畑に隠された宝」と説明しています。だから「探しなさい」「求めなさい」と勧めているのです。自己愛によって宝が見えなくなっています。

探すとは、敵と戦い自己愛を捨てること、その戦いを指しています。

そして「喜びと真心を込めて」人々に仕える生き方を目指すのです。

その人は人生の宝を必ず手に入れるのでしょう。

■(文責:小寺神父)
*2023/09/01 精道学園高3、朝の説教より